Poco a poco

元音楽療法士、現音楽講師の音楽考。

わかりやすさよりも大事なこと

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こんにちは、ボーカル/ピアノ講師のreinaです。

前回は、私の人生の選択を変えた先生の話を書きました。

今回は、大学時代の恩師の話を書こうと思います。

私が今、歌の仕事をしているのは、この先生の存在があったからです。

 

高校卒業後、私は音大の教育音楽学音楽療法コースに入学しました。

音楽科だと、主科と副科のみのレッスンですが、教育音楽学科の場合、主科、副科のレッスンに加えて、声楽の授業もありました。

 

2年の時に声楽の授業を担当された先生が、私に目をかけてくださり、無償で個人レッスンをしていただけることになりました。

なので、私は2,3年の2年間、声楽の授業、個人レッスンに加えて、イタリア語など、声楽科と同じ授業も一緒に受けていました。

 

私は昔から歌をほめられることが多かったのですが、その先生は「声楽科に移らないか?」「声楽でコンクールを受けないか?」「コンクールで賞を取れば声楽は仕事になる」と熱心に誘ってくださいました。

毎週のレッスンも、他の声楽科の生徒と同じだけの熱量で教えてくださり、試演会にも何度も参加させていただきました。

 

その先生は、指導が「わかりにくい」ことで有名だったのですが、レッスンはよくわからないながらも、上達している気はしていました。

(今、教える立場になって、自分で勉強するようになって、「あの時先生が言っていたのはこういうことだったのか」と腑に落ちる瞬間が、何度もあります。)

 

私たちは、わかりやすいものとか便利なものをつい追い求めがちです。

先生に対しても、「わかりやすい説明をしてくれる人が良い先生」と、つい短絡的に考えてしまいがちです。

 

その先生の指導はわからないことの方が多く、理不尽に怒られてばかりのレッスンだったけど、その先生は私に「自信」を与えてくださいました。

指導の根底に「才能を認めているからこそ」というのがあったからです。

 

当時は先生の誘いをすべて断り、音楽療法士を目指したのですが、結局、今、歌の仕事をしています。

声楽科でもない、プロデビューしたわけでもない私が、歌を仕事にしようと思えたのは、あの時先生が私の才能を認めてくださったからだと思います。

 

今、音楽教育の現場で働いているからなのか、昔を振り返って思い出すのは自分の先生のことばかりなのですが、「良い先生」の定義が自分の中でも変わりつつあります。

 

私のレッスンは、自分で言うのもなんですが、「わかりやすい」と思います。

昔と違って今は、いくらでも勉強する手段があるので、わかりやすいレッスンをするのは、ある意味簡単です。

 

でも、それよりも大事なのは、「生徒をいかにリスペクトして、その才能を認められるか」だと思うんです。

その想いは必ず相手に伝わり、自信とエネルギーを与えます。

その時すぐに花開かなくても、こうやって後になって形になることもあります。

今は子供相手のレッスンが多いですが、対等な立場で接し、その子の才能や可能性を信じ続けられる講師でありたいと思います。

 

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