子供の未来の選択肢を増やすのか、潰すのか
こんにちは、ボーカル/ピアノ講師のreinaです。
昨日から自分の内面に潜る、という作業を始めたところですが、今まで気づかなかった新事実が浮き彫りになってきて、驚くやら怖いやら…といったところです。
私はずっと音楽教育そのものに反抗してきた、と思っていたのですが、実は根に持っていたのはたった一人の教師だけでした。むしろ、ほかの先生は皆、優しい先生ばかりでした。
音楽教育に対する認識を改めた今日。
今回は一教師の言葉で、その子供の人生が変わるかもしれない、ということを書いていこうと思います。
私は高校入学時くらいまでは、プロのフルート奏者になるつもりでした。
高校の時、音楽療法という言葉に出会い、夢中で文献を読み漁り、大学進学時には音楽療法士を目指すことにしました。
この高校3年間で何が起こったのか?
最初の挫折は音楽高校の特待生になれなかったことだとずっと思っていました。
でもそこじゃなかった。
私立校の特待をとれなかった私は、吹奏楽部が強くて憧れていた県立の高校へ進学しました。高校3年間は部活動に費やすつもりで。
私にとって音大進学と部活動は両立できる活動のはずでした。
入部してすぐにコンクールの選抜メンバーに選ばれ、個人レッスンも開始して、これからがんばろうとした矢先。
顧問の先生から呼び出され、「個人レッスンをやめるか部活をやめるかどちらかにしろ」と言われました。
「お前が個人レッスンで抜けることで、部の皆に迷惑がかかるから。」という理由でした。
「部活をやめても音大には行けるけど、個人レッスンなしに音大には受からない。」そう思った私は、すぐに退部届を出しました。
高校に入学して2か月で、その高校に通う意味をなくしました。
その時は、大丈夫だと思っていました。音大進学という目標があったから。
それから受験に向けて練習とレッスンの繰り返しの毎日。
部活と違って一人で延々と続く練習に、わけがわからなくなりました。
今思えば、私は音楽そのもの以上に、音楽を誰かと一緒に創っていくことが好きだったのです。
音楽を続ける意味を見失いかけていた私は、「音楽を利用する」ことを考えだします。
音楽を役に立たせるにはどうしたら良いだろう?と考えた結果、見つけたのが音楽療法でした。
そこから、周囲の反対を押し切り、音楽療法士の道へと方向転換をしたのでした。
普通逆ですよね。
演奏家になるのを反対される話ならいくらでも聞くのですが、私は周囲の反対を押し切って演奏家になることをあきらめたのです。
顧問の先生にとっては何十人もいる部員の中の一人で、抜けても大して支障ない、軽い存在だったのだと思います。
でも、私にとっては、部活動を続けることに意味があった。
今、自分が教える立場になってから、子供たちと接するときは、「私の不用意な発言で、この子は音楽が嫌いになるかもしれない」「この子の未来の選択を変えてしまうかもしれない」という危機感を持って接するようにしています。
生徒の一番の応援者になるはずの講師が、その芽を摘んでしまうことがないように、今回思い出したことは、ずっと肝に銘じておこうと思いました。
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