小さなデイサービスで見た光
閑静な住宅街に新しく建てられた小さな一軒家。
メールで伝えられた住所を何度も確認し、恐る恐る玄関のチャイムを押す。
すぐに耳馴染みのある声で応答があり、玄関ドアが開く。
ゆるやかなスロープを通り抜け、段差のない玄関で靴を脱ぎ、定員3名の小さなエレベーターに乗り込む。
エレベーターの扉が開いて私の目に最初に飛び込んできたのは、まぶしいくらいの光だった。
清潔な白い壁に大きな窓。
まだ3月の初めだというのに、窓から降り注ぐ陽光のおかげでデイルームは暖房がいらないくらいあたたかかった。
私と管理者と看護師。
その日集った3人で、私たちは小さなデイサービスを始めた。
私が大学を卒業して最初に勤めたのは精神科の病院である。
私はその病院で初めて採用された音楽療法士だった。
当時は音楽療法という言葉も珍しく、医療職における音楽療法士の立場はなんとも不安定なものだった。
大学4年間で苦労して取った資格を生かすべく、配属された認知症高齢者対応のデイケアで奮闘していたのだが、理想と現実のギャップに打ち砕かれ、3年勤めてすぐに退職してしまった。
病院を退職して3年が過ぎた頃、同僚だった看護師から新しく立ち上げるデイサービスを手伝ってくれないか、と打診があった。
「スポットで音楽療法をやれば良いのかな?」と軽く考え、「いいですよ」と軽く返事をしたら、正規職員としての依頼だったことが後で判明した。
バタバタと仕事の調整をし、心の準備も十分に整わないままに再び飛び込むことになった高齢者支援の仕事。
それがこのデイサービスの生活相談員という仕事だった。
私も管理者である元同僚も、医療や介護の世界に絶望していた。
だから、新しいデイサービスは今まで誰もが見たことがないものにしようと話し合った。
病院で働いた3年間、私の仕事は高齢者やその家族の闇を見つめる仕事だった。
闇と対峙し、そこに光をあてる仕事をしていたはずが、いつの間にか闇に飲み込まれていた。それを再び繰り返す気はなかった。
新しいデイサービスは明るかった。
建物自体が大きな窓のおかげで明るかった、というのもあるが、そこに集まる利用者やスタッフもみな明るかった。
私たちがこだわったのは、「介護施設に見えないデイサービスにする」ということだった。
デイサービスは自宅から通う介護施設だが、施設と名前がつく場所に行くことに抵抗のある高齢者は多い。
「私はそんなところに行くほど年老いてない」
「ボケてると思われるのが恥ずかしい」
施設に通うことは、そんな高齢者の尊厳を傷つけることにもなり得る。
私たちは、利用者の尊厳を傷つける要因となり得るものを徹底的に排除していった。
昼食はプラスチック製の器を使わず、野菜中心の彩り豊かなメニューにする。
おやつも医療や介護現場でよく見る駄菓子ではなく、洋菓子や和菓子などの見栄えの良いものをカロリー計算して出す。
制作物も「施設で作るものだから」「安く作れるものを」と妥協せずにクオリティを追求する。
家と施設の往復のみで運動する機会も少ない利用者が多いので、1日1時間は運動の時間を作る。
昼休み以外テレビは見せない。
毎日午前、午後と全て違う活動を行い、ぼーっとする暇を与えない。
スタッフの制服を廃止し、利用者と人として対等に向き合う。
朝、昼と掃除を徹底し、整理整頓と清潔をキープする。
徹底して介護施設に見えないデイサービスを追求していくと、利用者にも変化が現れた。
最初は服装や衛生面に気をつかわなかった人が、毎日服を着替えてくるようになり、化粧をするようになった。
そして、スタッフがジャージなど着ようものなら、ものすごい勢いで指摘してくるものだから、スタッフも服装や色合わせに気をつかわざるを得なくなった。
制作物のクオリティは回を追うごとに高くなり、ひとたびインスタに写真をアップすれば「いいね!」の嵐。デイサービス公式アカウントのフォロワーは1000人近くまで増えていた。
投稿に勇気づけられた、と、フォロワーから次々とプレゼントが郵送されてくる。
御年97歳にして1時間の筋トレメニューをこなす利用者が現れる。
部屋の中ですら何かにつかまらないと歩けなかった人が、30分の散歩をこなす。
しまいには利用者自身がデイサービスの営業を始め、
「友達に配るから、新しいパンフレットをはやくちょうだい」
とスタッフが急かされるようになっていた。
あのデイサービスで過ごした日々はあたたかい陽の光に包まれていたようなものだった。
高齢になっても、認知症になっても、光りかがやける。
その光は、ギラギラとしたスポットライトのような強いものではなく、シャンデリアのような華美なものでもない。
でもきっと、穏やかであたたかい、人生でかけがえのないものなのだと思う。
あの時見た光が、私の人生の中に再び訪れることを願うばかりである。
「素敵な」フランス刺繍
正直、完全になめていました。
手先は器用な方だし、この手の作業は今まで適当にやっててもなんとなく形になっていたし、何なら仕事で教えていたくらいだし。
だから、まあ、基礎だし学校の授業で習った程度のことが出来れば簡単なんだろうなって。
「これのどこが基礎なんだー!?」
と、レッスンクロスを壁に投げつけたくなる衝動を必死で抑えている今。私はフランス刺繍に挑戦している。
何故フランス刺繍なのか。そこに大した意味はない。
事の発端はこうだ。
昔から自給自足の生活への憧れがあった。自分の衣食住を自分でつくって管理する、という途方もない夢だ。
本屋に行けば、身体は自然と「暮らし系」と呼ばれる生活に関する本がまとめられた棚に向かっていたし、そのジャンルの新刊は全て網羅するほど情報を集めていた時期もあった。
しかし現状の自分を顧みると、自分の洋服や小物すらまともに作れない。靴下や洋服に穴が開けば迷わず捨てるし、ボタン付けすら心もとない。
衣食住のすべてを完全にアウトソーシングしている今の生活は、自分の夢に近づいているどころか、遠ざかる一方なのではないか。
ふとそう考えると、突然、今の自分の生活が、根無し草のようによりどころのない不安定なもののように思えた。
「自分の着る服くらい自分で作れるようになりたい」
そう思いつくとほぼ同時に、重大なことに気づいた。
「そういえば裁縫ってまともに習ったことがないんじゃないか」と。
家庭科の授業で小物やエプロン、クッションカバーなどは作った記憶がある。
しかし、丁寧さに欠けている自覚のある私は、その時も先生や教科書の説明をスルーしてノリとフィーリングで作っていたため、仕上がりも適当なものしか出来上がらなかった。
その後、仕事で高齢者施設のレクリエーションを担当していた時も、手芸はさんざん教えてきたが、よくよく思い出してみると、生徒のスペックの方が高すぎて自分は見本の写真と材料を提供していただけだったことに気づいた。
やばい。これでは小さな塔に閉じこもって年に1度現れる遠くの灯りを眺めるのを唯一の楽しみにしているラプンツェル(冒険前)と同じではないか。
暮らし系の本や雑誌を眺めてばかりで、一歩も塔の外に出ようとはせず憧ればかりを募らせている。
いかん。ゴーテル(偽りの母)もいないのに、自分で築き上げた高い塔の中でのうのうと暮らしてばかりはいられない。旅に出なければ!
というわけで、特にフリン(美青年)が現れたわけでもないが、私は自ら塔を出るための情報を集めだした。
すると、案外簡単に超初心者向けの裁縫おさらい通信講座を発見した。
「学校の授業で習っただけ、というあなたでも大丈夫!」
という謳い文句につられて、鼻歌をうたうように気軽に申し込んだ。
1月目は基本の縫い方編。これはかなり楽勝だった。
糸の通し方、玉結び、玉止め、なみ縫い、半返し縫い。小学校の家庭科の授業で最初に習うラインナップだ。
軽い軽い。
2月目。もうフランス刺繍である。
レゼーデージーステッチ、アウトラインステッチ、バリオンローズステッチ、ブランケットステッチ。
ペース配分おかしくないか? 確か、この講座は6か月続くはず。2月目にして、すでに家庭科の授業で習った覚えがないところまで来ているのだが。
文句を言っていても仕方がないので、レッスンクロスを握りしめ、説明書と顔を突き合わせながら、一つ一つのステッチを確認していく。
花びらや小さな葉っぱを刺すレゼーデージーステッチ、曲線を刺すアウトラインステッチなどは、初めて聞く単語だと思いながらも、ほうほうと納得しながら手を進めていけば良い感じに仕上がっていった。
問題はバリオンデージーステッチである。これはボタン付けの時にボタンに糸を巻き付けるのと同じ要領で、針に刺繍糸を12回巻いて針を引き抜けば、かわいいお花の刺繍が出来るらしい。
説明通りに針に刺繍糸を巻き付ける。説明通りに針を引き抜く。ぐちゃぐちゃ。
……おかしい。やり直し……たいのに、糸が絡まってほどけない! こんなの聞いてない。誰でも出来る超初級じゃなかったのか!?
1時間ほど奮闘して、絡まった糸を懇切丁寧にほどいてやり直し、またほどいてやり直し、というのを繰り返し、それでも見本よりはるかに不格好なお花の刺繍が出来上がった。
「やっとできた!」
そう思うや否や、今度はブランケットステッチという更なる難関が待ち受けていた。
ふちがかりのステッチを使って、車輪のような丸い模様を作るらしい。
この丸がまたもや曲者である。ちょっと針を刺す場所をミスったり糸を引く力加減を間違えたりしただけで、丸がいびつな形になってしまう。
「これで初級……」
もはや私の顔には、ちびまる子ちゃんでよく見る縦線が終始入りまくっていた。
結局、想定の3倍以上の長い時間を費やし、見本からははるかに劣る素敵なフランス刺繍が出来上がった。
まだ2月目である。
冒険ならまだ序盤、ラプンツェルがダムの水から逃れたあたりだろうか。
この冒険は思っていた以上にハードな道程になりそうだ。
「裁縫なんて軽い軽い。ちゃちゃっと作ろう」
と思っていた1日前の自分が恥ずかしくなった。
でも、これだけハードな旅だということは、6か月後には思ってもみなかった景色が見られるようになるのだろう。
「来月の課題は心して取り組もう」と私は気合を入れなおした。
音大生がこうもり傘を100本集めるおじさんにハマった話
当時の私は、ものすごく退屈していた。
物心ついた時から、いつも音楽の中にいた。
何が好きなのか? 何がやりたいのか? そんな疑問を持つ前に、目の前には鍵盤があり、無意識のうちに歌をうたっていた。
年齢を重ねるごとに、私を取り巻く音楽の世界はどんどん大きくなっていき、一日の生活の中に占める音楽の割合はいびつなほどに大きくなっていった。
それは得体のしれない化け物だった。それは半透明のビニールの膜のように柔らかく私の全身を覆い、静かに私を殺そうとしていたのだった。
音大に入学し、私の絶望は確かなものとなった。
小さな線と丸で真っ黒に埋め尽くされ、きれいに整頓された、新品の楽譜を胸に抱き、それを演奏するたびに、心の底から「つまらない! つまらない!」と小さく叫んでいた。どこに向けて良いのかわからない怒りばかりが蓄積され、半透明だったその膜はどんどん白く濁り、息苦しさに押しつぶされそうだった。
彼に出会ったのはそんな時であった。
いつ、どこで出会ったのか、何がきっかけだったのか、すでにもう覚えていない。
気づいたら彼はそこにいた。そして彼は最高にクレイジーだった。
私はどんどん彼にのめり込んでいき、周りが嫌がるのを楽しむかのようにいつも彼に寄り添った。
彼は私の紫のバラの人だった。
それが速水真澄のようなハイスペックイケメンなら周りも納得したのだろうが、彼は紳士の格好をした貧乏人だった。
あの時の衝撃は今でも忘れられない。
彼は私にさまざまなものをプレゼントしてくれたが、彼が私にくれた最初のプレゼントは、干からびたナマコの卵だった。
それが好意なのか嫌がらせなのか、どう受け止めたら良いのかわからなかった私は、まじまじとそれを見つめていた。その言葉のイメージに反して、卵はコロコロとかわいらしく、グロテスクさはなかった。しかしこれが何を意味しているのかがわからない。真面目に考えようと頭をひねっていた私の横で、彼は終始意味のないたわごとを吐き続けた。
彼は自由だった。
常識という枠を次々と取り払い、彼が美しいと思うもので周りを塗り固めていった。彼の判断基準は極めてシンプルだった。美しければそれが正解である。
彼が選んだものは息をのむほど美しいものもあれば、全ての人への嫌がらせにしか思えないものもあった。意味のないものをわざと選び、周りの反応を見て楽しむ。そんな人だった。
変人が多いと言われる音大の中でさえ、彼の存在は異端で、そして圧倒的だった。
私は時間さえあれば何度も彼からの手紙をむさぼり読み、彼からのプレゼントを眺め、彼の思考の全てを自分の中に取り込もうとした。
彼からのプレゼントが増えるたびに、私は痛快さを感じた。
次第に美しいだけでは飽き足らず、周りが嫌がるものや顔をしかめるような奇怪なものを自ら欲するようになった。
私を覆っていた半透明の膜はいつの間にか消え去り、私は大きな声で叫んだ。
私の生活から規則や常識、ルールなどという言葉はなくなり、全てが実験的で刹那的なもので満たされていた。
息ができる。そう思った。
彼に出会って私は、自由を手に入れた。
私は怒っていた。
そしてそれをぶつける手段を持たなかった。
彼は怒っていた。
そしてあたりかまわずそれをまき散らした。
彼に出会って私は、怒りをまき散らす術を手に入れた。
彼はもう隣りにはいない。
いや、そもそも最初からいなかった。
私の存在が彼の目に留まることはなく、終始彼は自由にふるまい、私は傍らでずっと恋焦がれていただけだった。
彼を縛ることなど誰にもできない。
だからこそ彼の存在はあんなにも美しく、どこまでも異様なのである。
彼の残した手紙に時々触れる。
彼がその時、確かに存在していたことを確認する。
街で、カフェで、家で、ふと彼のことを思い出す。いや、強制的に思い出させられる。
誰もが彼から逃れることなどできない。
私は、誰かの紫のバラの人になれるのだろうか。
こんなことを考えるだけで畏れ多い。
私は決して彼のようにはなれない。いつまでも恋焦がれ、実体のない紫のバラを追い続けている。
せめて彼の片鱗だけでも、そばにいる人に届けよう。
彼を取り込もうとした私と共に時間を過ごす人に、彼の自由な心が伝わるように。死んでなお、多くの人を魅了し続け、多くの人に気づきと変化を与える彼の大きさに気づくように。
幸い、私は今、ピアノ講師をしている。
今日も街で、「ジムノペディ」が流れている。
書斎をレンタルするということ
書斎レンタルのサブスクリプションサービスを利用し始めて、3か月が経ちます。
私は平日会員なので、平日はほぼ毎日書斎に通っています。
私にとって書斎は、本のネットカフェのようなものです。
私の通っている書斎はこんな所です。
まず、料金は定額制。平日会員の場合、コーヒーがサービスでついてきます。
このコーヒーが美味しい。
ネカフェのコーヒーは自販機のものですが、ここのコーヒーはこだわりのあるハンドドリップ。
ここのコーヒーに慣れてしまった私は、市販の安いコーヒーが飲めなくなりました。
なんてこった。
そして、1万冊の蔵書が読み放題。
ネカフェにはせいぜい雑誌くらいしか本がありませんが、こちらは本がメインです。
雑誌や漫画も厳選されたもののみ置いてあります。
蔵書のラインナップも私の趣味に近いので、「読みたい本がない」ということは、今のところありません。
昔から、本に囲まれた生活を送るのが夢でした。
大学を卒業したら、大きな図書館の近くに住む! と周りに宣言していた私は、結局大きな本屋さんの近所に住んでいます。
本屋の近くに住む、というのは、活字中毒者にとってはかなり危険なことです。
下手したら、一日中、本屋を巡って散財して終わります。
一時期は大きな本棚を購入し、本当に本に囲まれた生活をしようと試みたのですが、部屋が狭く、圧迫感がすごかったのと、地震で本に潰される危険性を感じて断念しました。
そんな私なので、レンタル書斎はまさに夢の空間。
自分で管理する必要もなく、きちんとジャンルごとに整理された本が読み放題なのです。
ネカフェのように時間制ではないので、時間に追われて急いで本を読む、ということもありません。
そして、建物がきれい。
「書斎」と呼ぶにふさわしい内装へのこだわりが感じられます。
選び抜かれたソファや椅子、テーブル、照明、音楽。
会員は個室利用もできるのですが、その個室も掃除が行き届いており、いつもきれい。
徹底的に整えられた環境が作られているので、余計な雑音もなく、作業に没頭できます。
そして最後に、スタッフの方の温かみのあるサービス。
ここは、1階が本屋さんで、2階、3階に書斎があるのですが、スタッフの方は本屋の店員さん&ホテルのコンシェルジュのような存在です。
いつ行ってもスタッフの方の対応が温かく、そして言葉遣いが丁寧。
自分が大切に扱われていることを実感できます。
適度な距離感で放っておいてくれるので、こちらも気兼ねしなくて済みます。
毎日のように通っても、その距離感を崩すことなく、同じ対応をしてくれるのも、とても好感が持てます。
私のようなフリーランスで働く人間にとって、職場と家の中間地点にあるこの書斎は、心地よいサードプレイスになっています。
私の家は街中にあるため、どこかに移動したり買い物をしたりする分には便利なのですが、家にいると日中ずっと続く工事の騒音に悩まされていました。
どこかのマンションの改装がこないだやっと終わったと思ったら、その隣にまた新しいマンションが建つ。その繰り返しが年中続きます。
朝8時から始まる工事の音で目覚めることもしょっちゅう。
コロナ禍になって、家で仕事をする機会が増えるとなお、この騒音が邪魔で気が狂いそうになりました。
そんな時、書斎の存在を知り、個室利用をしてみて驚きました。
「こんなに集中できたことが、最近あっただろうか?」と。
よく作家さんがホテルに缶詰めになる、という話を聞きますが、日常や仕事のごちゃごちゃから離れ、環境の整備された空間に身を置くことで、こんなにも集中できるようになるとは思いませんでした。
特に個室は人一人が入ってちょうど良いくらいの広さで、机と椅子、ソファ、ライトがあるくらいなのですが、この中に入ると、作業がめちゃくちゃはかどる。
ネカフェにはない、内装の高級感も相まって、繭玉の中にいるかのような、不思議な安心感に包まれながら、時を過ごすことができます。
仕事のアイディアに煮詰まったら、1万冊の知識がすぐ手の届くところにある。
この、知識にいつでもアクセスできる、という状態も、とてつもない安心感を与えてくれます。
これはネットで検索するのに似て非なるものです。
ネットでは大量の情報にアクセスできますが、その真贋を見極めるのに時間がかかり、非効率に感じることも多いです。
ここの蔵書の場合、「本になっている」のと「選書されている」という知識のダブルチェックが入っているため、自分で知識を選別する手間がかなり省けます。
最近は、様々なサービスのサブスクリプションが増えてきましたが、書斎のサブスクリプションサービスは読書家やサードプレイスが欲しい人にはお勧めのサービスだと思います。
お題「#買って良かった2020 」
透明人間になったら
「もし透明人間になったら何をする?」
という台詞が、読んでいた本の中に出てきた。
「自分なら何をするだろう?」
結構真剣に考えてしまった。
一人で生きる、ということは、半分透明人間になるようなものだ。
一人でいる時、私は自分の存在を証明することはできない。
自分の存在を証明するために、私は働き、人と話し、お金を払って消費している。
もし、透明人間になってしまったら、その存在の証を失うことになる。
それは恐怖でしかない。
最初はこう考えた。
「おいしいものを食べる?」
食にあまり興味がない質なので、普段の食事は質素である。
最近は、鍋にハマっているので、毎日鍋ばかり食べている。
でも、透明人間になれば、お金を払わずにおいしいものが食べられるんじゃないか?
作り置きより作りたての料理の方が美味しいのは間違いない。
有名な料理人の作りたての料理をかすめ取る。こっそり奪って食べる。
そこまで、想像して、何かが違うことに気づいた。
高級な料理は、その料理自体が美味しいのはもちろんだが、その盛り付けや接客、店の内装などを含めた、トータルのサービスに私たちはお金を払っているのだ。
料理だけをかすめ取っても、それを口にした時の満足感は半減するだろう。
さすがに透明人間用のテーブルまでは期待できない。
次に、こう考えた。
「嫌いな人を痛めつける?」
面倒だ。自分の存在がその人に認識されないのであれば、透明人間であり続ける限り、その人から実害を受けることはない。
過去の恨みを晴らす、という考え方もできるが、そこまで人に執着する質でもない私は、嫌いな人のことをずっと考えてその人のために自分の労力と時間を費やす方がもったいないと思ってしまう。
最後にこう考えた。
「ほしいものを手に入れる?」
今、ホームベーカリーが欲しいと思っている。
最近、毎朝のように近所のパン屋でパンを買って食べているからだ。
焼きたてのパンを食べる時が至福の時である。
家で自分で簡単に作れたら、わざわざ店に出向かなくても、毎朝、焼きたてのパンが食べられる。
ホームベーカリーを手に入れる。
そう想像したところで、問題点が出てきた。
手に入れたら自分で材料を用意して作らなければならない。
メンテナンスをしなければならない。
置き場所を作らなければならない。
部屋が狭くなる。
材料を揃えるのにも、作るのにも時間がとられる。
ネット通販が使えない。透明だから。
今、手に入れていないのには、それなりの理由があるのだ。
持っていてプラスにしか働かないだろうものは、もうすでに手に入れている。
結局、ここまで想像して、最後に
「研究機関に駆け込み、泣いて訴えて、元に戻してもらう」
という、何とも夢のない考えに至ってしまった。
子供の頃を振り返ってみると、大人しい子供だった。
自分の「存在感のなさ」が嫌で、主張の強い人間になろうとしてきた自覚がある。
このことを考える時、いつも頭に浮かぶのが自動ドアだ。
私は今でも、自動ドアに認識されないことが多い。
立つ場所が悪いのか、身体が小さい(でも大人の大きさなのだが)のが悪いのか、間が悪いのか。よくわからないが、とにかく自動ドアが開かなくて立ち往生することがよくある。
その時、いつも小さな苛立ちとやるせなさを感じる。
小さな子供が自動ドアで遊ぶのも、その存在が認識され、自分の動きに反応してくれるのが嬉しいからだろう。
私たちは、自分一人ではその存在を認識することはできない。
自分の存在によって反応するヒトなりモノなりがあって、初めて、自分がそこにいることが証明されるのだ。
透明人間になるのは、案外簡単なのかもしれない。
家を手放し、仕事を手放し、人付き合いを手放し、持ち物を手放し、欲や執着を手放す。
山奥にこもり、出来る限りのヒトやモノとのつながりを絶って、隠者のような生活を送る。
自分がそこに住んでいた痕跡は残ってしまうが、そもそも人や動物が寄り付かないような場所に住めば、それを発見される可能性も低くなる。
なにも生み出さず、言葉も発さず、ただただ毎日を平穏に暮らす。
そこまで想像して、また問題点に気づいた。
人や動物が寄り付かないところってどんなところだ?
おそらく人が住めないような、危険なところ。
断崖絶壁、土砂災害警戒区域、砂漠……。
透明人間になるは良いが、生存確率はものすごく低そうだ。
毎日を平穏に暮らすことなど、とうていできないだろう。
結局、人は透明人間にならないように生きているのである。
今日も誰かに見られ、誰かと言葉を交わし、その存在を互いに確認しながら生きていく。
そうやって、今日もまたそこそこ平穏な暮らしを手に入れている。
何故女子はヨガにハマるのか
ヨガを始めて、8年が経とうとしています。
「ヨガ」というと、バラエティー番組に出てくるモデルとか女優とかがこぞって紹介している、意識高い系の趣味、というイメージがありますが、特に意識高い系ではなくても続けている人は多いです。
そこで、今回は何故女子がヨガにハマるのか、を考察していきたいと思います。
女子にとってヨガはアボカドのようなものです。
アボカドは「世界一栄養価の高い果物」として有名ですよね。
そして、これもまた、意識高い系女子の大好物。
美容やダイエット効果が高く、そこらへんが彼女らの人気の元だと思うのですが、私のような意識普通系女子が最初に魅了されるのは、アボカドの持つ「疲労回復効果」だったりします。
アボカドにはエネルギー代謝を助ける働きがあるビタミンB群が豊富に含まれています。
疲れや集中力不足に効果的なビタミンB1、
ストレスに効果的なビタミンB2、
倦怠感に効果的で、炎症を抑える効果もあるビタミンB6。
これらは、そのまま私が感じているヨガの効果にあてはまります。
そもそも、私がヨガを始めたのはマッサージ代を節約するためでした。
美容やダイエットのためにヨガを始める人も多いと思いますが、私は「身体のだるさ、肩こり、腰痛解消のため」という、かなり低い意識を持ってヨガに通い始めました。
私が最初に選んだのは「リストラティブヨガ」。
(リストラティブとは、英語で回復とか修復とか、そういう意味です。)
このヨガは、ボルスターと呼ばれる抱き枕みたいな補助具を使って、ヨガのポーズをして、寝ているだけの癒し色の強いヨガです。
これ、マッサージで寝てるだけなのと、ほぼ変わりません。
何なら、ポーズ中に先生が毛布を掛けてくれたり、頭や肩や手をほぐしてくれたり、アイピローを置いてくれたりします。
レッスンの前後には、足湯みたいなサービスもあります。
さらに、レッスン終了後は、ハーブティーまで出してもらってました。
いや、ほぼマッサージ店だよね、それ。
当時の私は、80代の老女の中に混じっていても気づかれないだろうほどに、猫背がひどく、姿勢の悪さからくる肩こり、腰痛に悩まされていました。
運動をする習慣もなく、そもそも体力も筋力もない、動く気もない、身体硬い、体育嫌い、ラジオ体操すら音楽に合わせて出来ない。……という超インドア派だった私にとって、ヨガは「動かなきゃいけない」「スポーツ」「運動」「キラキラ女子!」というイメージが強く、続けるのは難しそうだと思っていました。
でも、痛みがつらくなる度にマッサージに毎回通うのは、お金が続かない。
そう思っていたところ、ちょうど、近所に新しくヨガスタジオがオープンしました。
当時は、ヨガスタジオの数も今ほど多くなく、アスリート並みの動きをするためのヨガを教えるスタジオがほとんどだった中、そのスタジオはヨガの「疲労回復効果」を前面に押し出していました。
「寝ているだけなら出来そうだ」と思った私は、早速、そのスタジオに通いはじめました。
なんとなくだるい、疲れがとれない、とにかく体の不調を何とかしたい、という時は、この「リストラティブヨガ」が絶大な効果を発揮します。
ポーズをとって寝ているだけで、全身の血流が促進され、簡単に言うと「スッキリ!」します。
1年くらい、この寝ているだけのヨガに通うことで、姿勢は整い、身体の不調は徐々に減っていきました。
元気になってくると、疲労回復効果の先を求めたくなるのが女子っていう生き物です。
ヨガにはアボカドと同じくデトックス効果もある、ということで、次に少し動きのある「フローヨガ」に移りました。
アボカドには食物繊維も豊富に含まれていて、食べると便秘解消にも効果があるそうです。また、カリウムも含まれていて、むくみの解消にも効果があります。
ヨガに当てはめると、身体をねじるポーズが食物繊維でしょうか。
フローヨガで動いたりストレッチをしたりすることで、寝ているだけよりもさらに血流やリンパの流れが促進され、朝起きたら顔がパンパン! ということが減っていきました。
一つだけ難点を言うと、アボカドが食べ過ぎるとカロリーオーバーになりやすいのと同様に、ヨガもやり過ぎると俗世を超越した仙人のような心境になりがちです。
私も、一時期は仙人になろうとしていましたが、一周周って現在は、またリストラティブヨガに戻っており、寝る前の15分間のヨガで一日の疲れをリセットするようにしています。
女子力の頂点のようなモデルや女優のような人たちから、私のような健康になりたいだけの普通系女子まで、全ての女子の欲求を万能に満たすことができるのが、ヨガの魅力だと思います。
魔法のチケットを手にレッスンに臨む
今、私の中で、ディズニー映画一日一本鑑賞キャンペーンを実施しています。
アナ雪から始めて、ベイマックス、モンスターズインク、トイストーリー、ラプンツェル、と続けて見てきました。
ディズニー映画は子供たちとの共通言語を作る、魔法のチケットです。
そもそも、何故、私がこの一人キャンペーンをはじめようと思ったかというと、一人の生徒をレッスン中に泣かせてしまったからです。
その子は最近、ピアノの面白さに目覚めたのか、自宅での練習量も増え、レッスンに来るなり自信満々で練習曲を披露してくれました。
楽譜通り、とても上手に弾けていたのですが、幼児にありがちな鍵盤を力任せに弾く癖が気になった私は、そこを指導しようと思いました。
本人の弾き方を真似したものと、脱力して弾いたものを演奏し、どちらがきれいか? 考えさせようとしたのですが……。
自信満々に弾いたものを否定された、と捉えた彼は、すっかりやる気を失くし、いじけて大泣きしてしまいました。
その後、「とても上手に弾けていたから、もう少し優しく弾いてみて」と言葉で説明しても後の祭り。
幼児には「優しく」とか「力を抜いて」とかいう表現を言葉や手本で考えさせるのは、わかりにくいことだったのです。
「どうしたら角を立てずに、子供にもわかりやすく表現が教えられるだろう?」
と考えているうちに、彼はディズニー映画が大好きで、アナ雪2を見た直後などは、主題歌を一度で覚えてうたっていたことを思い出しました。
「よし、ディズニーのキャラクターで例えて表現を教えよう」
そう思った私は、ふとある事実に気づきました。
「ストーリーもキャラもほどんど覚えてない!」
ディズニー映画を最後に観たのは、おそらく高校生の頃。
何の映画だったかは、もはや記憶にありません。
「やばい! 世界の子供たちの一般教養であるはずのディズニーに関してあまりにも無知すぎる」
映画のタイトルくらいはおぼろげにわかるものの、どのキャラがどんな性格でどんな話が展開されているのかがまったくわからない。
ストーリーを語れるのはシンデレラと白雪姫、美女と野獣くらいです。知識がほこりをかぶっている……。
アナ雪? 雪の話だろ? アナとエルサは姉妹で、あとオラフが雪だるま!
歌はうたえるよ。(←私の知識の限界。)
うーむ。子供たちに言わせれば、「お話にならない」状態。
表現を教える前に、情報のアップデートが必要と思った私は、早速ディズニープラス(ディズニー公式動画配信サービスアプリ)をダウンロードしたのでした。
改めて、ディズニー映画を見てみると、そのキャラの多様性に驚きました。
特にプリンセス像が昔よりだいぶ変わっている。
明るく、天真爛漫、おしとやかで心優しく、美しい、というステレオタイプなプリンセスはもはや時代遅れになっているのでしょう。
先日、早速、思いつく限りの想像力と新旧入り乱れたディズニーの知識を駆使して、レッスンで表現を教えることにしました。
幼児で1週間に5曲の新曲を弾く、という驚異のスピードで自習してくる彼に、
「今から君に魔法をかけます!」と宣言。
「アブラカタブラ~……(やはり表現が古い。)エルサになーれ! エルサが舞踏会で踊っているように弾いてみて!」
ワクワクスイッチオン。
瞬時に優雅な手の動きに変わります。
1週間前に泣いて怒っていたのが嘘のように、超ノリノリ。
細かいミスもありません。
その後、
「オラフが行進するように」
「シンデレラのカボチャの馬車をひく馬のように」
「トイストーリーのおもちゃが箱から出てきてワーイ! って言ってるように」
「アースラ(リトルマーメイドの魔女)のようにおどろおどろしく」
と、続けて魔法をかけていきました。
そして気付けばほぼ30分、ピアノだけを弾き続けてレッスンは終了したのでした。
ピアノのレッスンって「生徒のミスや悪い癖を先生が修正していく」という形が一般的なように思います。
私もずっとその形のレッスンを受けてきたので、それが当たり前だと思っていました。
でも、そういうレッスンをずっと受けていると、どんどん自尊心が削られていくように思います。
生徒は思考停止に陥り、先生に言われた通りに弾く、ただの作業員になり果ててしまいます。
そうではなく、生徒自身が考えて表現できるような、創意工夫する余地を与える言葉かけは、その生徒の自尊心を育て、練習のプロセスをも楽しめる魔法をかけてくれるのではないでしょうか。
ディズニーのキャラクターというイメージしやすい共通言語を使うことで、「優しく、でも芯を持って、美しく、はつらつと、元気に」と抽象的な言葉を多用するよりも、はるかに分かりやすく、たくさんのニュアンスを伝えることができます。
まだ、私の持っている魔法のチケットの数は少ないですが、これから徐々に増やしていきたいと思いました。