Poco a poco

元音楽療法士、現音楽講師の音楽考。

ボイストレーナーが赤ペン先生になったよ

f:id:transparents8:20201228012947j:plain

今月から、アプリを使った動画添削型のオンラインレッスンを始めました。

いま、他県に住む小学生にボーカルのレッスンをしています。

アプリのレッスンは、ボイトレ界の赤ペン先生のようなものです。

 

私は小学1年生から6年間、進研ゼミを受講していたのですが、その講座の中でも赤ペン先生の添削を楽しみにしていました。

この講座では、毎月「チャレンジ」という教材が届いて、自習し、提出用の解答用紙を郵送してしばらく待つと赤ペン先生の添削と解説が書かれた答案が返ってきました。

手書きで私一人だけにあてたコメント付きで返してくれるので、毎回どんなコメントが書かれてくるのだろう? と楽しみに待っていた記憶があります。

自習用の教材は手をつけたりつけなかったり、読まないまま積読状態にしていたことも多かったのですが、赤ペン先生への課題提出は割と真面目に行っていました。

 

アプリのレッスンもこの形に近いです。

ボーカルの場合、まず練習用のカリキュラムが動画で送られてきます。

生徒はその動画を見て、自宅で自主練習をします。

そして生徒は、週1回、基礎練習と課題曲の歌唱動画を作成し、提出します。

数時間~数日待つと、提出した動画に先生の赤ペンやコメントが入った動画が返送されてきます。

生徒はそれを参考に練習し、また翌週、新しい動画を作成し、提出をします。

そして、数週間~ひと月くらいで、新しいカリキュラム動画が送られてくるので、次はその練習に移る、という流れになっています。

 

このレッスンでは、先生は、生徒の提出する一つずつの動画に対して、それぞれ添削動画を作っていくので、その子だけのオリジナル動画が返ってくるという形になっています。

子供の頃、赤ペン先生のコメントを楽しみに待っていた私のように、生徒はこの添削動画を楽しみにしてくれているようです。

 

対面やライブでやりとりできるオンラインレッスンにもメリットはたくさんありますが、今回はアプリのレッスンの良さを挙げていきます。

 

まず、解答用紙と同じく動画が記録として残る、ということです。

音楽は蛇口をひねったら流れ続ける水のように、そのままでは形に残らないので、それを受け止める器が必要になります。

でも、練習をしているだけだと、無意識で水を垂れ流しにしているだけになっていることも多く、自分の演奏を客観視しにくくなります。

意識して器を用意する習慣をつけられれば良いのですが、水を流しているだけで満足し、それに飽きると蛇口すらひねろうとしなくなる子供も多いです。

そこで、アプリレッスンで動画という器を用意する習慣をつけることで、生徒は自分の流した水の色や味や温度や手触りを客観的に受け止めることができます。

 

次に、自学自習の習慣がつきやすいということです。

赤ペン先生の添削と同じように、このレッスンは生徒から提出された動画をもとに添削を行っていきます。

写真に自分が撮られるとき、多くの人は無意識にキメ顔をつくろうとしますよね。

それと同じで、提出動画を作るときは、生徒は無意識のうちにより良い動画を作ろうとします。

それを作るため参考になるのが、送られてきたカリキュラム動画や前回の先生の添削動画。

先生から送られたヒントを手掛かりに、生徒は主体的により良い動画を作るための練習をし、撮影にチャレンジすることができます。

 

最後に、赤ペン先生の添削と同じように、適切な距離感を保ったレッスンが出来るということです。

赤ペン先生の一番の良さは、「会えないこと」「顔が見えないこと」だったように感じています。

これらはデメリットのようにとらえられることも多いですが、それがプラスに働く子供もいます。

子供たちは解答用紙に書かれた赤ペン先生の文字やコメントという少ない情報の中から、理想の赤ペン先生を好き勝手に想像しています。

面白い小説の実写化が難しいように、そういう子供たちが実際に赤ペン先生に会っていたら、自分で作り上げた赤ペン先生のイメージとのギャップに幻滅していたかもしれません。

アプリのレッスンは、ライブ面談で先生と直接テレビ電話をする時間もあり、カリキュラム動画にも先生が映っているため、赤ペン先生より先生の体温は高めですが、それでも「携帯越し」という壁があります。

対面やライブのオンラインレッスンより、はるかに先生の情報は少なくなります。

これは、子供たちに「先生はどういう人なんだろう?」と想像させる余白がたくさんあることにもつながります。

携帯の中の先生を、勝手に理想化してくれるので、対面レッスンのように甘えや慣れすぎることがなくなり、親や身近な人からのアドバイスよりも素直にフィードバックを受け入れやすくなります。

 

これらが、今、私が感じているアプリの動画添削型レッスンのメリットです。

 コロナの影響もあり、最近は対面よりオンラインのレッスンの需要が増えてきました。

オンラインレッスンの中の一つの選択肢として、アプリのレッスンにチャレンジしてみるのも面白いと思います。

高齢者こそクリエイターである

f:id:transparents8:20201225125419j:plain


高齢者こそクリエイターである。

皆さんは、高齢者に対してどんなイメージを持たれているでしょうか? 

最近はネットやipadを操るスーパー高齢者も増えてきて、一昔前の「お年寄り」というイメージには収まりきらない高齢者も多くなってきました。

私は昨年まで、高齢者の施設で働いていたのですが、そこで出会った高齢者はどの方もクリエイティブなセンスを持った方ばかりでした。

 

私の働いていた施設では、高齢者のカルチャースクールのような活動を行っていました。活動内容は私がすべて管理しており、私やスタッフの趣味と利用者様の趣味の合致することをひたすら追求していました。

手芸、編み物、歌、手遊び、脳トレ、学習療法、音楽療法、回想法、お茶会、パステル画、塗り絵、切り絵、貼り絵、ちぎり絵、折り紙、工作、散歩、体操、ヨガ、ルーシーダットン、筋トレ、料理、お菓子作り、書道、書写、デッサン、コラージュ、演奏会、落語、マッサージ、小旅行……。

これらを日替わりでパズルのように組み合わせて、数えきれないほどたくさんの活動を行ってきました。

私の専門は音楽ですが、他の分野の活動も知恵とネットを駆使して、素人ながらに企画し、他のスタッフと分担して教えていました。

 

残念ながらその施設は昨年廃業してしまったため、現在は音楽関係の仕事を主にしているのですが、最近、趣味で手芸や編み物や水彩画を始めました。

当時はお金を頂いて教えていたことを、今はお金を払って教わっています。

 

教えていた時には気づかなかったことなのですが、作品となる「モノ」を作るってすごくクリエイティブなことだったんだ、と実感しています。

仕事をする時には使わない感覚をフル活用している感じなんですね。

そして、私からの無理難題に答え続けていた、あの高齢者の方々はとんでもない適応力とクリエイティブ精神を兼ね備えた化け物ばかりだったのだと今更気づきました。

 

彼女らはそもそものスペックが高すぎます。

若い頃から洋裁、和裁、編み物、料理、家事全般は当たり前、洋服や小物はほとんどハンドメイド、それに加えて茶道、華道、書道まで一通り網羅しています。

どこぞのお嬢様ですか? と聞きたくなるほどなのですが、彼女らにとっては当たり前のこと。

平家にあらずんば人にあらず、と言わんばかりに、

「その着てるセーター、いつ作ったの?」と毎冬聞かれます。(自作はもはや前提条件。)

専業主婦だからできたのでは? と勘繰りたくなるところですが、何故かシングルでずっと働かれていた方まで同様のスペックを持たれている様子。

教養がありまくるので、初めて習うことや初めて聞く言葉に対しても興味深々、持ち前のスペックの高さを生かし、見よう見まねでそれなりの作品が作れてしまいます。

開業当初は殺伐としていた施設内も、いつのまにか大量の作品群に囲まれ、作家の家だと言っても疑われないだろうほどに、にぎやかになっていました。

 

私たちの世代(30~40代)って、やりたいことを老後の趣味に取ってそうじゃないですか。

「やってみたいことはあるけど、暇になったらやる」とか「今は仕事で忙しいから自分の趣味は後回し」とか。

まさに、昨年まで私が思っていたことなんですが。

でも、そのまま、仕事ばかりを優先して生きて行って、実際に仕事を引退して、施設に通う高齢者になったとき、今の高齢者と同じことが同じクオリティでできるだろうか? とふと疑問に思ったのです。

やばい。弱すぎる。音楽以外は、RPG世界なら町人レベルだ。

 

今、編み物はガーター編みしかできない、水彩画も柿を描いただけ、手芸は並縫いから学び直しているという全てがレベル1の段階なのですが、仕事以外の没頭できる趣味の時間を作ることで、あの化け物たちに匹敵する力がついていっているような実感があります。

化け物と戦うのではなく、自分が化け物に近づいていっている感覚。

彼女らのずっと先に、私の敬愛する岡本太郎氏や武満徹氏はいるのでしょう。

もはや彼らは銀河です。宇宙です。

 

足を踏み入れて初めて彼らの遠さを知る。

 でも、何もしないで眺めていただけ、聴いていただけの時よりもずっと、クリエイターを身近に感じます。

亀の歩みのようにのろのろと歩き出したばかりですが、ウサギのように一足飛びにお金で作品を買い集めて喜んでいた時より、たくさんの景色が目に入ってきます。

飛び跳ねて頂上を目指していた時には見えなくなっていた、作品をつくる楽しさやそれを自然に出来る高齢者のクリエイティビティ。

プロのクリエイターの作品のクオリティとパワー。

 今、ここから始めて、数十年後には自分がスーパーばあちゃんと言われる存在になれるよう、モノを作ることを続けていきたいと思いました。  

 

 

声の出し方を見直そう

f:id:transparents8:20201223144150j:plain


こんにちは、ボイストレーナーのreinaです。

今日は、「声の出し方」について説明していきます。

歌をうたうとき、多くの人が「声を前に出すこと」を意識していると思います。

具体的に言うと、「マイクに向かって声を出している」ですかね。

 

この考え方はあながち間違いではないのですが、もっと歌を上手くする方法があります。

それは

「ボールを投げるように声を投げる」

という意識です。

 

ドッジボールくらいの大きさのボールを持っていると想像してみてください。

このボールを腕を肩より後ろに引かずに、前に投げてみます。

どれくらい遠くに飛ぶでしょうか。勢いは? スピードは? 威力はどうでしょう?

遠くに飛ばそうと、腕に力を入れれば入れるほど、腕の動きは固くなり、ボールの勢いも威力も飛距離もなくなるのが想像できると思います。

 

それでは、このボールを今度は腕を後ろに大きく引いてから、ふりかぶるように投げてみます。腕を後ろに引かずに投げた時より、遠くに楽にボールが飛ぶのがイメージできると思います。

 

歌もこれと一緒です。

肩から前だけでうたおうとすると、思うように声は出ないものです。声量を上げようと、身体に力を入れてうたうと、余計に喉が硬くなり、どんどんうたいにくくなります。

うたっていて喉が痛くなる、苦しくなる、声が重い、声がこもる、等の悩みがある人は、ボールを投げる時のように声を一旦後ろに引いてから、前に投げるよう意識してみましょう。

 

それでは、具体的にどういうふうに声を後ろに引けばよいのか? を説明していきます。

まず、口の中の奥行きを感じるために、黒人のゴスペルシンガーになってみます。

日本人に比べて、黒人は顔の骨格が前後に広い人が多いため、黒人の骨格をトレースするように自分の顔を作ってみます。特に、口の前後の広さを広く保つよう、口を少し突き出し、口の奥の壁をさらに後ろに置いて、顔を前後に広げてみてください。

 

次に、口の上下の空間を広げるために、口の中にホールを作ります。

口の中に小さな大聖堂があるイメージです。合唱や声楽では、よく「あくびの口」と表現しますが、口の中の天井を高く保って、口の上下の空間を広く保ちます。

口の中を広く開けて! というと、舌に力が入り、舌が上がる人がいますが、舌が上がると空間が狭くなるので、舌は寝た牛のように、脱力して放っておきます。

 

これで、口の中の土台は整いました。

では、実際に声を出していきましょう。

最初は、声を後ろに引く練習をしていきます。

声は裏声を使います。

 

「う」の母音で、声を長く伸ばします。

この時、息を掃除機で後ろ上に吸われるように、頭の後ろ上に向かって吐いていきます。口の中は黒人の大聖堂、舌は寝た牛のままです。

この時、息を「軟口蓋」という場所に当てていきます。

軟口蓋は上あごを舌で前から後ろにつたっていった時、後ろの方にある柔らかい場所です。あくびをする時に、自然と持ち上がる場所ですね。

ここを息の圧力で持ち上げるように、息を吐いていきます。

 

まず、この「後ろに引いた声」が安定して出せるようになるまで、繰り返し練習してみてください。

安定して出せるようになったら、その声を前に投げていきます。

 

ボールを投げる時のように、声の着地点を決めます。

最初は路上ライブで目の前にいるお客さんに届けるくらいの距離でやってみましょう。

距離感がうまくつかめないときは、譜面台等を3メートルくらい前に置くとわかりやすいです。

 

ボールを投げる時の軌道をイメージして、この声をボールだと思って投げていきます。

実際に投げる時のように、腕を後ろに引いて、ふりかぶる動きをつけながら声を出してみるとイメージしやすくなります。

声は軟口蓋を引き上げて後頭部に集めてから、目と目の間から前に流していきます。

この時、ボールと同じでまっすぐに投げようとすると、うまく声は前に飛びません。

着地点に向けて、弧を描くように投げていきましょう。

裏声でうまくできるようになったら、地声でも同じ流れで練習してみます。

 

3メートルの距離でうまく着地できるようになったら、次は自分がライブハウスでうたっている所をイメージしてみます。

まずは小さなライブハウスで構いません。

ステージの目の前のお客さんから始めて、真ん中くらいのお客さん、一番後ろのお客さんにそれぞれ届けるように、どんどん距離を伸ばして練習してみます。

 

プロのシンガーは、この距離感を変えることで、声のボリュームや抑揚をコントロールしています。

ぜひ、毎日の練習に取り入れてみてください。

眠りから覚める日は突然に

f:id:transparents8:20201221222148j:plain


最近、編み物にはまっています。はまりだして3日目です。

超初心者向けのキットを購入して、めちゃくちゃ親切な説明書を見ながら、ガーター編みをひたすら練習しています。

いつまで続くかは謎ですが、今のところの心境は

「100年の眠りから覚めたオーロラ姫になった気分」です。

 

少し、私の編み物遍歴を説明しようと思います。

私の母は編み物が得意で、よく自作のセーターを着ていました。

それを見て、小学2年生の冬、「私も編み物がしたい!」と母に頼むと、母は喜んで赤い毛糸と棒針を用意してくれました。母にガーター編みを習って、マフラーを編み始めたのですが……。

母は親切なことに、左利きの私のためにわざわざ左右逆の編み方を教えてくれたんですね。小学生ですから、編み目が増えたり減ったり揃わなかったり。編み続けるにつれてどんどん不格好になっていくマフラーを見て、嫌になり、編み途中のままほっぽりだして早数十年。

それ以来、周りがどれだけ編み物にはまろうとも、自分は手を出さないというスタンスを貫いてきました。

 

子供のうちは、うまくできないとか飽きやすいとか興味が移ろいやすいとかで、すぐ手を出して辞めることってたくさんあると思います。

でも、私にかけられた呪いは

「左利きは編み方が変わるし、編み図も左右逆に見なきゃいけないから難しい」

でした。

この言葉は母に最初に言われたことなんですが、この思い込みという名の呪いは厄介でした。

実際、私に教えている時の母はとても難しそうに編んでいました。(今考えると、右利きの母が、左効き用に合わせて編んでいるのだから、難しくて当然なのですが。)

小学2年生での挫折以来、私は「左利きだから」という免罪符を持って、堂々と編み物を避ける人生を送ってきたのでした。

 

呪いが解ける日は突然やってきました。

「自分の服が作りたいけど面倒くさい。マフラーとか小物なら出来そうだけど、編み物自体が無理ゲーだよねぇ」と漠然と考えていた1週間前。

ふと立ち寄った本屋で私はついに王子に出会ったのです! 

 

手に取ったカタログの中で見つけたのは、「編み物初心者向け手取り足取りキット」という、棒針も閉じ針も毛糸も動画付き説明書も全て送ってくれる、至れり尽くせり感溢れる優良物件。編み物教室に通うよりお財布にも優しい。最高か。

「これなら出来るかも!」と深く考えずに購入し、説明書を見て「ああ、しまった。左利きだから逆なんだった」と思ったその瞬間。

「いや、別に左利きでも右手が全く使えないわけじゃないし、ピアノとか右手の方が動くし、説明書めちゃくちゃわかりやすいし、この通りにやればできるんじゃない?」

という心の声が、どこかからか聞こえてきました。

 

早速、説明書通りに編んでみました。

最初はぎこちなかった右手の動きも、覚えて慣れてくるとだんだんスムーズに動くようになってきました。子供の頃は編み目が増えたり減ったりしていた理由がよくわからなかったのですが、この親切なキットにはその理由まで詳しく解説されています。

きれいに編むために気をつけるポイントまで丁寧に教えてくれているおかげで、どんどん上達しているように見えます。というか、素人にしては普通に上手く編めている気がします。左利きなのに。

 

結果、「編み物ってこんなに楽しかったんだ! 今まで避けてきた人生は何だったんだろう?」という心境に、今、至っています。

 

私は、去年まで高齢者と関わる仕事をしていたのですが、高齢者にも編み物ってすごく人気が高いんですよね。

一日中編み物をしている方も多く、自作のセーターやマフラーは当たり前。他の人が作った作品にも興味深々。ハイペースで仕上がっていく新作たち。

当時は、何がそんなに面白いのか、なんでそんなに長時間編み続けられるのか、その情熱はどこから来るのか、すごく謎だったのですが、実際に出来るようになると、その魅力がよくわかります。

 

編み物に関しては、私は小学2年生の時の記憶のまま時が止まっていました。

自分が苦手と思い込んでいたり、難しいと思ってやらなかったりしていることの中には、大人になった今なら簡単に出来ることがまだまだたくさんあるように思います。

今は大人向け、初心者向けの趣味の講座やレッスンもたくさんあり、対面だけでなくオンラインや通信講座などさまざまな形で学ぶことができます。新しいことを始めたり、昔挫折したことに再挑戦したりするハードルはすごく下がっているように思います。

自分の眠っていた能力を目覚めさせることができるのも、大人ならではの楽しみだと思います。今だから出来ること、今だからやりたいことをその都度、深く味わい、楽しんでいきたいと思います。

 

今を生きる

f:id:transparents8:20201113110225j:image

音楽の仕事をしているのに、音楽をほとんど聞かない生活を送っています。

最近、発表会が終わり、珍しくたくさん歌をうたったので、体調を崩してました。

この現象、ほんとに自分でも謎だったのですが、だいぶ回復してきて、自己分析も進んできました。

 

単純に、音楽から受け取る情報量が自分の許容量を超えていたのだと思います。

改めて、私の仕事は音楽自体ではなく、音楽を言葉で表現することなのだと認識し直しました。

 

今は、惰性で続けていた事柄を見直し、生活を組み立て直している最中です。

ここ10年ほど、発声や身体の使い方、筋肉のコントロールボイストレーニングについての探求をし続け、ボイトレに関してはある程度の結論と方法論が確立しています。

 

今興味があるのは、共感覚、視覚情報、美術、言葉、創作、表現。

過去の栄光に縋ることほどダサいことはないので、常に手放し、進んでいきたいと思います。

大人の夢

f:id:transparents8:20201023221128j:image

先日、50代の方がシンガーソングライターコースに入会されました。

楽譜を読んだことも、楽器を触ったこともないところからのスタートです。

…というわけで、私はピアノ弾き語りのコースも担当しています。

 

最近、本当によく思うのが、「大人のやりたい!を受け入れられるレッスンでありたい」ということです。

子供は純粋な興味や親の意向で習いに来る子が多いのですが、大人の場合は習い事を始めるって、結構ハードルが高いと思うんです。

仕事や生活との兼ね合いや、初心者の場合はレッスンについていけるか?レッスンや練習の時間を確保できるか?

この歳で始めて、本当に上達するのか?

等、次から次へとネガティブな考えが浮かんできます。

 

というのは、私が今、絵画教室を探していて、感じていることです。

何年も前から、ふと思い出しては探す、というのを繰り返しています。

なんだか美大受験とか子供向けアート教室みたいなのは、たくさんあるのですが、大人の初心者向けの教室ってなかなかないものですね。

大人向けの講座があっても、レベルが高くて、自分がそこに通うのは場違いなような気がしたり。

 

そして結局好き勝手に描いたりしていたのですが、今日、ストアカで丁度良さそうな講座を見つけたので申し込んでみました。

「初心者OK、絵が下手でも苦手でも大丈夫」

なんと門戸が広い。

 

絵を習うなんて、本当に絵が好きでずっと描いてきた人とか、昔習っていた人が再開するためにあるものだと思っていましたが、このレッスンなら大丈夫そうです。

 

私のレッスンでも、初心者でも気軽にチャレンジ出来るような、大人の夢を応援出来るような、そんな環境をつくっていきたいと考えています。

音楽療法とは何だったのか

f:id:transparents8:20201016200226j:plain

音楽療法士をしていた頃のことを書いてみます。

私は大学を卒業してすぐ、精神科の病院に入職しました。そこでは主に重度認知症の高齢者を対象とした音楽療法をしていました。

「回想法」と呼ばれる、歌唱を中心としたグループセッションや作曲等を行う個人セッション、レクリエーション要素の強い大集団の音楽療法セッションなど、さまざまな形で音楽療法をさせてもらえました。

特に、歌唱の反応は良く、毎回「心の洗濯をしました」と言われるクライエントの言葉が大好きでした。

そんなわけで、今日は「音楽療法とは何だったのか?」を掘り下げてみたいと思います。

 

音楽療法はぶっちゃけ、金になりません。

客寄せパンダ的な存在で、「音楽療法やってます!」とその施設が宣伝する道具に成り下がっている感はあります。

しかも、国家資格でも何でもないので、自称で音楽療法士を名乗ることも可能です。

これらもろもろの理由から、「音楽療法士」と名乗るのが嫌になった、というのが辞めた理由の一つです。

音楽療法士を辞めてしばらくは「音創人」と名乗っていました。怪しい…(笑)。

 

だからといって、効果がないか、というと、それは違います。

効果があるからこそ、様々な現場で取り入れられ、人気があるのです。

音楽療法をしていると、本当に「奇跡なんじゃないか」と思えるようなことが、頻繁に起こっていました。

当時は「怒り」とか「悲しみ」とか、自分のことで精一杯で、見えなくなっていたことが多かったのですが、今振り返ると、クライエントが流した涙や吐露した感情、言葉はとても切実で、美しいものだったのだなあと思います。

結局、高齢とか病気とか回復の見込みがないこととか、そういうものの重みに耐えられなくて、逃げ出すように辞めてしまっただけなのかもしれません。

 

音楽療法というと、とてもライトなものの受け取られ方をすることが多いのですが、実際はかなり泥臭く、人生の深淵を覗くような仕事だと思います。

 

…掘り下げようとしたけど、今はこれが限界でした。

あと、20年ほど生きたら、現場復帰できそうな気がしています。