高齢者こそクリエイターである
高齢者こそクリエイターである。
皆さんは、高齢者に対してどんなイメージを持たれているでしょうか?
最近はネットやipadを操るスーパー高齢者も増えてきて、一昔前の「お年寄り」というイメージには収まりきらない高齢者も多くなってきました。
私は昨年まで、高齢者の施設で働いていたのですが、そこで出会った高齢者はどの方もクリエイティブなセンスを持った方ばかりでした。
私の働いていた施設では、高齢者のカルチャースクールのような活動を行っていました。活動内容は私がすべて管理しており、私やスタッフの趣味と利用者様の趣味の合致することをひたすら追求していました。
手芸、編み物、歌、手遊び、脳トレ、学習療法、音楽療法、回想法、お茶会、パステル画、塗り絵、切り絵、貼り絵、ちぎり絵、折り紙、工作、散歩、体操、ヨガ、ルーシーダットン、筋トレ、料理、お菓子作り、書道、書写、デッサン、コラージュ、演奏会、落語、マッサージ、小旅行……。
これらを日替わりでパズルのように組み合わせて、数えきれないほどたくさんの活動を行ってきました。
私の専門は音楽ですが、他の分野の活動も知恵とネットを駆使して、素人ながらに企画し、他のスタッフと分担して教えていました。
残念ながらその施設は昨年廃業してしまったため、現在は音楽関係の仕事を主にしているのですが、最近、趣味で手芸や編み物や水彩画を始めました。
当時はお金を頂いて教えていたことを、今はお金を払って教わっています。
教えていた時には気づかなかったことなのですが、作品となる「モノ」を作るってすごくクリエイティブなことだったんだ、と実感しています。
仕事をする時には使わない感覚をフル活用している感じなんですね。
そして、私からの無理難題に答え続けていた、あの高齢者の方々はとんでもない適応力とクリエイティブ精神を兼ね備えた化け物ばかりだったのだと今更気づきました。
彼女らはそもそものスペックが高すぎます。
若い頃から洋裁、和裁、編み物、料理、家事全般は当たり前、洋服や小物はほとんどハンドメイド、それに加えて茶道、華道、書道まで一通り網羅しています。
どこぞのお嬢様ですか? と聞きたくなるほどなのですが、彼女らにとっては当たり前のこと。
平家にあらずんば人にあらず、と言わんばかりに、
「その着てるセーター、いつ作ったの?」と毎冬聞かれます。(自作はもはや前提条件。)
専業主婦だからできたのでは? と勘繰りたくなるところですが、何故かシングルでずっと働かれていた方まで同様のスペックを持たれている様子。
教養がありまくるので、初めて習うことや初めて聞く言葉に対しても興味深々、持ち前のスペックの高さを生かし、見よう見まねでそれなりの作品が作れてしまいます。
開業当初は殺伐としていた施設内も、いつのまにか大量の作品群に囲まれ、作家の家だと言っても疑われないだろうほどに、にぎやかになっていました。
私たちの世代(30~40代)って、やりたいことを老後の趣味に取ってそうじゃないですか。
「やってみたいことはあるけど、暇になったらやる」とか「今は仕事で忙しいから自分の趣味は後回し」とか。
まさに、昨年まで私が思っていたことなんですが。
でも、そのまま、仕事ばかりを優先して生きて行って、実際に仕事を引退して、施設に通う高齢者になったとき、今の高齢者と同じことが同じクオリティでできるだろうか? とふと疑問に思ったのです。
やばい。弱すぎる。音楽以外は、RPG世界なら町人レベルだ。
今、編み物はガーター編みしかできない、水彩画も柿を描いただけ、手芸は並縫いから学び直しているという全てがレベル1の段階なのですが、仕事以外の没頭できる趣味の時間を作ることで、あの化け物たちに匹敵する力がついていっているような実感があります。
化け物と戦うのではなく、自分が化け物に近づいていっている感覚。
彼女らのずっと先に、私の敬愛する岡本太郎氏や武満徹氏はいるのでしょう。
もはや彼らは銀河です。宇宙です。
足を踏み入れて初めて彼らの遠さを知る。
でも、何もしないで眺めていただけ、聴いていただけの時よりもずっと、クリエイターを身近に感じます。
亀の歩みのようにのろのろと歩き出したばかりですが、ウサギのように一足飛びにお金で作品を買い集めて喜んでいた時より、たくさんの景色が目に入ってきます。
飛び跳ねて頂上を目指していた時には見えなくなっていた、作品をつくる楽しさやそれを自然に出来る高齢者のクリエイティビティ。
プロのクリエイターの作品のクオリティとパワー。
今、ここから始めて、数十年後には自分がスーパーばあちゃんと言われる存在になれるよう、モノを作ることを続けていきたいと思いました。